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9.姿勢と歩行が変わればすべてが変わる

執筆者の写真: Yuumi YAMADAYuumi YAMADA

更新日:2023年6月25日

KAZUメソッドは姿勢や歩行の改善を目的に作った体操です。

なぜ姿勢や歩行なのか‥ある研究者の「ヒトは歩くために進化した」「だからヒトは歩かなければならない」の記述がきっかけでした。姿勢を変化させ歩きが変わると痛みの軽減、体力の向上にもつながると考えました。直立二足歩行によって手が自由に使え、便利な道具考え大脳が進化し、言語でコミュニケーションがとれるようになりました。楽しい会話をしたり指先や手を使うこと。歩くこととは関係なさそうな事柄でも歩行に影響を与える‥歩くとは移動手段だけでなく、広い意味での「健康」に影響を及ぼすと考えました。

そこで歩行を考えるために私はヒトの進化から調べ始めました。


地球は46億年前、脊椎動物は5.2億年前に誕生しました。その後、ヒレと背骨で水中を泳ぐ魚類、ヒレを前肢と後肢に進化させ陸上で生活を始めた両生類や哺乳類が誕生しました。

脊柱は魚類の時には真っすぐ。両生類以降は後弯・頚椎前弯と変化します。ヒトの成長にも同様の変化が見られます。胎児の脊柱は後弯、乳児は頚椎前弯、幼児期に腰椎が前弯し脊柱S字弯曲が完成します。


人類は樹上で生活していたサルが地上に降り立ったことから始まります。ここから手が使えるようになりますが歩行はナックル・ウォークと呼ばれる歩き方。まだまだ直立二足歩行には程遠い状態でした。

440万年前ラミダス猿人の特徴は腕が脚と同じくらいに長く、土踏まずがなく、大きな足の指で物をつかめたました。ヒトとチンパンジーの中間的な猿人と考えられてます。320万年前アファール猿人は、腕はやや短くなり、骨盤もチンパンジーに比べて幅が広くラミダス猿人から着実にヒトに近づいていることを予感させます。

180万年前に猿人から原人へ進化します。原人は人類の拡散、脳容積増大、火の使用、言語の獲得、石器製造技術の発達など飛躍的に進化しました。世界最古の原人の化石は160万年前トゥルカナ・ボーイです。長距離の移動に適している細長い脚が特徴。脳容積も900ccで現代人のおよそ3分の2。たたき切る石器から鋭利な石を使った石器が作られたのもこの頃で様々な工夫や知恵が働くようになったと推測されます。

110万年前ジャワ原人。形態は身長170㎝、体重80~90㎏のがっちりと頑丈な体型。脳容積は800~1200㏄。握力200㎏以上でかむ力は現代人の4倍。言語を使っていたようです。


15万年前に現生人類が属する種「ホモ・サピエンス」が出現しました。

4万年前クロマニョン人は、男性180cm70kg、女性170cm55kgのスレンダーな体型で豊かな筋肉を蓄え、優れた運動能力。脳容積が現代人の1450ccを上回る1600ccに達してました。


縄文時代(1万6000~3000年前)以降ヒトの身体は進化していません。暮らしぶりは定住生活するようになります。私たち日本人の祖先は集落を形成し狩猟、採取、漁労を営んでいました。弥生時代は水稲栽培などの農耕が本格化し余剰作物を備蓄するようになります。集落は大規模化し地位の上下や貧富の差が生じたのもこの頃から。水利権を巡っての争いも増え、やがて小さな国から有力な国が生まれることとなります。

竪穴式住居や高床式倉庫、土器や磨製石斧、木製農具、田下駄など暮らしぶりも変化し徐々に文化が築かれていきます。


田植えなど農耕時の祭祀に起源を持つ「田楽」は平安時代に京都で流行しました。それまで培ってきた農民の動きを舞で表現したものです。この田楽は室町時代に「能楽」となって現在に至ります。田楽から発展した能は、農耕民族の身体的特徴をそのまま現在に伝えています。


現在の日本人の姿勢概念の起源は鎌倉時代だと私は考えてます。

鎌倉時代は武士社会の始まり。礼節を重んじる社会。後世の武士道の起源となります。そこで登場したのが小笠原流。小笠原流の礼法は明治時代の教育改革にまで影響を与えることとなります。

鎌倉時代の「鎌倉飛脚」や「六波羅飛脚」が最も古い資料として残っています。飛脚は江戸から京まで普通の人なら15日かかった道のりを3日、速さはゆっくりとしたジョギング程度の時速9kmですが、マラソンの15倍の距離、600kmを走り続けていたのですから優れた持久力と効率的な走りができていたと推測します。


江戸時代になって武士の支配による身分制度(士農工商)が確立し身分による身体の使い方にも違いがでてきました。

農民は作業効率を考えた構えや動き。武士は鍛え上げた立ち振る舞い。宮本武蔵の「五輪書」には、腹を張り、腰は反らさず、肩を下げて、踵を強く踏むといった構えについての記述もあります。


明治時代になり新政府の発足によりに日本にとっては大きな転換期となりました。武士の支配から身分制度が撤廃され、教育改革や富国強兵が実施されました。教育現場では礼儀作法の教育として小笠原流の礼法を導入。富国強兵の一環として兵式体操を取り入れ武士や農民に西洋式兵士の姿勢や行進など基本となる動きの訓練を行いました。

小笠原流礼法や兵式体操はそれまでの武士や農民の身体の使い方を大幅に転換することになります。


私たちはよい姿勢とは「背骨は真っすぐに」「不動の姿勢」とイメージします。背骨は真っすぐに伸ばすのではなく、曲げたり伸ばしたりできるもの。ヒトは常に揺れている。背骨が真っすぐであったり不動の姿勢にはかなり無理があるのです。(注:小笠原流の礼法では、正しい姿勢とは次の動きを考えた今の姿勢と記述しています。背骨を伸ばしたままというのは私たちの間違ったイメージからきているものと私は解釈してます。)


そもそも二本脚で支えたり移動すること自体奇跡的なこと。これを可能にしているのが、背骨のS字弯曲、骨盤の前傾、足のアーチ構造上とこれらの稼働性によるもの。安定した構えと効率的な動きが姿勢の基本です。安定感を得るためには頭を適した位置に留めること。効率的な動きとは動作の際に頭を支持面にスムーズに移動させること。起き上がりは首の上に、立ち上がりは支えてている両足を結んだ四角形上に、歩く時は片足の上に頭の位置をすみやかに移動できることが極めて重要です。


四足動物は常に頭は身体の先端にあり歩行は三点支持ですが、ヒトは構えや動作により頭の位置常に変化します。頭には目、耳、鼻など多くのセンサー(感覚器)があり司令塔となる脳が収まっている重要なパーツです。頭の位置の調整には高度なバランス感覚が必要になるのです。

痛みや怪我で足や腰をかばえば頭が傾きます。体が硬くなれば筋肉が弱くなり頭が揺らぎます。その結果ますます関節の痛みが強くなり他の個所に痛みが生じたりします。また原因が特定できない頭痛やめまいなども多くはバランスの低下によるものです。


私が姿勢や歩行が変われば症状の軽減のつながると考えたのは以上の経緯からです。


参考図書:「ホモ・サピエンスはどこから来たか」馬場悠男著、「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」溝口優司著、「日本人の坐り方」矢田部英正著、「舞踊の芸」武智鉄二著、「詳説日本史第6版」山川出版、「武蔵とイチロー」高岡英夫著、「古武術の発見」養老孟司・甲野善紀著


この原稿は平成26年に機関誌に投稿したものです。

 
 
 

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